フジコ・ヘミングの年齢や年収旦那は?なぜ人気?下北沢の自宅住所はどこ?

フジコ・ヘミングと猫

フジコ・ヘミングさんの年齢や年収、旦那について気になる方は少なくないと思います。この記事ではフジコ・ヘミングさんの魅力と人気の理由も深掘りします。さらに、下北沢にある自宅の場所も紹介したいと思います。

この記事でわかること
  • フジコ・ヘミングさんの年齢と経歴
  • フジコ・ヘミングさんの年収とその背景
  • フジコ・ヘミングさんの旦那の情報
  • 下北沢の自宅の場所

ぜひ最後までご覧ください。

フジコ・ヘミングのプロフィール

2024年10月18日『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』というフジコ・ヘミングさんのドキュメンタリー映画が、公開されます。実は、フジコ・ヘミングさんのドキュメンタリー映画は今回が初めてではなく、2018年『フジコ・ヘミングの時間』と題して、ロングヒット上映されています。そんなフジコ・ヘミングさんとは、どのような人物なのでしょうか?ここでは、フジコ・ヘミングさんのプロフィールを紹介します。

ジコ・ヘミングのWikiプロフィール
  • 芸名:フジコ・ヘミング
  • 本名:ゲオルギー=ヘミング・イングリッド・フジコ(Georgii-Hemming Ingrid Fuzjko)
  • 生年月日:1931年12月5日(2024年4月21日死没)
  • 出生地:ドイツ、ベルリン
  • 職業:ピアニスト・・日本とヨーロッパ・アメリカで活躍
  • 学歴:東京藝術大学卒業、ベルリン国立音楽学校卒業
  • 活動期間:1950年から2024年
  • 家族:父親はスウェーデン人画家・建築家のヨスタ・ゲオルギー・ヘミング
  • 母親は、日本人ピアニストの大月投網子、弟は俳優の大月ウルフ

フジコ・ヘミングさんは、世界的に有名なピアニストです。彼女はドイツ日本ハーフで、子どもの頃からピアノを習い始め、その才能を発揮しました。彼女の音楽は、クラシック音楽の枠を超え、世界中の多くの人々の心を捉えています。

フジコ・ヘミングさんは、2023年11月、自宅階段で転倒して脊髄損傷の大怪我を負い治療とリハビリに努めていましたが、2024年4月21日、膵臓がんのためお亡くなりになりました。

フジコ・ヘミングさんは、コロナ禍において多数のコンサートが中止になり、後輩の音楽家が活動の機会を奪われていることに、心を痛めておられました。

コロナが終息し、再び演奏を続けておられたフジコ・ヘミングさん。お亡くなりになる間際までピアノと向き合い続けた彼女のプロフィールについて知ることで、フジコ・ヘミングさんがどのような人物か、そして彼女がなぜ多くの人々に愛されてきたのか、分かるかもしれません。

フジコ・ヘミングの年齢と経歴

フジコ・ヘミング

まず、フジコ・ヘミングさんの年齢ですが、フジコ・ヘミングさんは2024年4月21日に92歳お亡くなりになりました。フジコ・ヘミングさんは多くの国で演奏してきた、世界的なピアニストですが、彼女の人生やピアニストとしての経歴は、決して順風満帆なものではありませんでした。

ここからは、そんなフジコ・ヘミングさんのピアニストとしての経歴を紹介します。

1931年12月5日ドイツのベルリンで生を受けたフジコ・ヘミングさんは、5歳で日本に移住しました。その後父親は、家族3人を残し一人スウェーデンに帰国してしまいます。以来、母と弟と共に東京で暮らし、5歳から母投網子さんの手ほどきでピアノを始められました。

フジコ・ヘミングさんによると母投網子さんは当時ピアノの先生をしており、フジコ・ヘミングさんにも手に職をつけさせるために、毎日のようにフジコさんにピアノを練習させていたようです。

フジコ・ヘミングさんは、そのことについて、まさか私を世界的なピアニストにさせるつもりは無かっただろうと語っておられます。

そんなフジコ・ヘミングさんは10歳から、父の友人であり、ドイツで母がピアノを師事したレオニード・クロイツァーに師事し、以後東京藝術大学在学時を含め、長年の間クロイツァーの指導を受けます。

大学時代からフジコ・ヘミングさんは、長年ピアノ留学を望んでいましたが、パスポート申請時に無国籍であったことが発覚し、留学手続きが難航します。

そして、1961年にウィルヘルム・ハース駐日西ドイツ大使の助力により、西ドイツ赤十字社に認定された難民として国立ベルリン音楽大学(現:ベルリン芸術大学)への留学を果たしました。この時、フジコ・ヘミングさんは30歳でした。

その後、フジ子・ヘミングさんは国立ベルリン音楽大学(現:ベルリン芸術大学)卒業し、ヨーロッパに残留して各地で音楽活動を行いました。生活面では母からのわずかな仕送りと奨学金で何とか凌いでいたという、大変な貧困で苦痛な状況が長らく続いたそうです。

実は、フジコ・ヘミングさんは16歳の時に、中耳炎の悪化により右耳の聴力を失っています。そんな彼女に、悲しい出来事が起こります。風邪をこじらせ、左耳の聴力も失ってしまうのです。

演奏家としてのキャリアを一時中断しなければならなくなったフジコ・ヘミングさんは、失意の中、ストックホルムに移住します。耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得て、以後はピアノ教師をしながら欧州各地でコンサート活動を続けました。その後、左耳は40%まで回復したそうです。

そんな波乱万丈なフジコ・ヘミングさんに、大きな転機が訪れます。それが、1999年2月11日のNHKのドキュメント番組『ETV特集』「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」の放送です。

このドキュメント番組は、視聴者の大きな反響を呼び、フジコブームが起ったのです。フジコ・ヘミングさん68歳の時でした。

ここから、フジコ・ヘミングさんはピアニストとして大活躍されていきます!

フジコブーム
  • 発売されたデビューCD『奇蹟のカンパネラ』は、発売後3ヶ月で30万枚のセールスを記録し、日本のクラシック界では異例の大ヒットとなりました。
  • 第14回日本ゴールドディスク大賞「クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」他各賞を受賞しました。
  • 1999年10月15日の東京オペラシティコンサートホールでの復活リサイタルを皮切りに、本格的な音楽活動を再開し、国内外で活躍することとなります。
  • 2001年6月7日には、ニューヨークのカーネギーホールでのリサイタルを開催し以降、ソロ活動に加え、海外の有名オーケストラ、室内楽奏者との共演が世界中で行われました。

フジコ・ヘミングさんは、遅咲き、大器晩成のピアニストさんだったようですね。

フジコ・ヘミングさんの年齢や経歴について知ることで、フジコ・ヘミングさんがいかにして今の地位を築き上げてきたかが理解できたのではないでしょうか。

フジコ・ヘミングの年収は?

フジコ・ヘミングさんの年収は具体的な数字は公開されていませんが、彼女のコンサートやCDの売り上げ、テレビ・映画出演などから推測すると、かなり高額であると考えられます。

フジコ・ヘミングさんはピアニストとして、世界中を飛び回り、世界各地に住居を所有していました。その各地で、猫や犬を飼っていたフジコ・ヘミングさん。もちろん、彼女の不在時には友人だけでなく、ペットシッターに世話を委託することもあったようですので、住居の維持費や動物たちのお世話代も決して安くないでしょう。

これらのことを鑑みると、年収は数千万から億だったのではないのでしょうか?

フジコ・ヘミングさんの経済的な成功と音楽業界での功績を考えると、ピアニストとして、大器晩成であったフジコ・ヘミングさんは後輩音楽家たちの希望の光だと言えるのかもしれません。

フジコ・ヘミングの旦那は?

フジコ・ヘミングさんに旦那さんは、いないようです。過去のドキュメンタリー映画内で、今恋していて、手紙を渡した。かなり年下の音楽家だ。という発言がありました。

1年か2年幸せだったらそれでいいじゃない?という発言もあり、結婚はされておらず、さほど結婚を望んでおられない様子が感じとれました。

しかし、フジコ・ヘミングさんは自身の恋について、インタビュー等で時折言及されています。

ー恋愛すると、音楽にもきっといい影響があるんでしょうね

(フジコさん)
「『恋をしたことがない』という日本人に、ストックホルムで会ったことがあるけど、『恋ってどんなんだろう』っていうから『かわいそうな人』って思った」

「私の場合は悪趣味で、恋愛相手はみんな嘘つきの女たらしばかりだった。『なんでこんなのばかり好きになるのか』って。嘘つきで酷い奴のほうが魅力あるのよね。人が好い男性は、どうも退屈で。誰かを好きになる時の感情って素晴らしいじゃない。お酒よりももっとおいしい。うっとりしちゃう」

引用元:RSK山陽放送

フジコ・ヘミングさんは、記者からの質問に対し、このように過去の恋愛や恋愛観についても語っておられます。

世界各地に住まいをお持ちになられ、その各地で猫や犬と生活を共にしていた、フジコ・ヘミングさん。旦那さんはおらずとも、恋人や動物という家族に囲まれた人生だったようです。

フジコ・ヘミングの自宅は下北沢?その場所は?

フジコ・ヘミング下北沢の自宅

フジコ・ヘミングさんは世界各地(パリ・マレ区のアパートメント、サンタモニカ、ベルリン、京都・祇園の町家)に住居を所有しており、日本の自宅は東京都下北沢にあります。このお宅は、かつて劇団青年座の稽古場だった3階建ての建築だそうで、フジコ・ヘミングさんのお母様も住まわれていたそうです。

フジコ・ヘミング下北沢の自宅内

フジコ・ヘミングさんは、アンティークな家具や雑貨、自身が書いた絵画の中に、古びたピアノを置き、約20匹の猫と犬たちに囲まれて暮らされていたそうです。

フジコ・ヘミングさんの下北沢の自宅内の写真からは、ヨーロッパ風の独特な雰囲気が感じ取れます。

フジコ・ヘミングさんの下北沢の自宅住所は正確には分かりませんが、映画「フジコ・ヘミングの時間」の映画を観たところ、金子ボクシングジム(〒155-0031 東京都世田谷区北沢1丁目45−23)の近くのようですね。

フジコ・ヘミングさんの自宅について知ることで、彼女の生活と創作活動の一端を垣間見ることができたと思います。

まとめ

この記事では、フジコ・ヘミングさんの年齢、年収、旦那などについて紹介してきました。こららを通して、彼女の魅力をより理解して頂けたら幸いです。

2024年10月18日にはフジコ・ヘミングさんのドキュメンタリー映画『恋するピアニスト フジコ・ヘミング』が公開されます。

ぜひ、今後もフジコ・ヘミングさんの音楽と人生について耳を傾けてみましょう。きっと何かのヒントが得られるのではないのでしょうか。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。